「心で考える」。1番大切で、1番難しいこと。

アシタカになりたい

小さい男の子って「大きくなったら何になりたいですか?」って聞かれると、大抵がその時にテレビで見ているヒーローの名前を言いますよね?

アンパンマンとか、仮面ライダーとか、何とかレンジャーとか(笑)

私は小さい頃はヒーローに憧れたことがなく、今考えると結構冷めた子供だったんだなと思いますが、30歳を過ぎた今、「これからどのような人になりたいですか?」と聞かれると、恥ずかしながらこう答えると思います。

「アシタカのようになりたい」と。
※アシタカとは映画「もののけ姫」に出てくる主人公です。(たぶん主人公だと思います)

30歳を過ぎたおっさんが何言ってるんだと思われるかもしれませんが(笑)、子供達が「カッコいいから」「強いから」という理由でヒーローに憧れるのよりは、ちょっと大人な憧れかただと思います!(たぶん)

みなさんも「もののけ姫」を1度は見たことがあるのではないのでしょうか?

私は中学生の時に映画館で「もののけ姫」を初めて見たのですが、正直、あまり深く心に響いたということはありませんでした。
(面白いとは思いましたが)

どちらかと言うと、ジブリの中では「トトロ」「紅の豚」などのほうが子供の頃には心に馴染んだような気がします。

しかし、先日、久しぶりに「もののけ姫」を見てみると、子供の頃には感じることのできなかった、心に響いてくる場面がたくさんありました。こんなに深い話しだったの?と思うほど。

20年近く経って「もののけ姫」の素晴らしさに改めて気づかされました。

ストーリーや映像、音楽、色々感動した場面はあったのですが、私はこの映画の中で、特に心に響いた言葉があります。

それはアシタカの

「曇りなき眼(まなこ)で見定め、決める」

というセリフ。

アシタカはこの物語の中で、様々な決断(選択)をするのですが、すべての行動が「心」を持って考え決められています。

損得感情や自分中心の考えでなく、相手を思いやり、自然に感謝し、人として何が正しくて何がいけないのかを考えて行動する。
そして何があってもその「信念」を曲げない心の強さを持っています。

ちょっとネタバレになるので、「もののけ姫」をまだ見たことがない方は続きを読まないでほしいのですが、この物語では人間と自然との対立が描かれています。

人間側にはタタラ場という鉄をつくることで生活している製鉄所のようなコミュニティーがあります。
その長である「エボシ」は自分達の暮らしのためなら、自然を破壊ることも躊躇しない、森に住む神々をも恐れぬ、一見すると悪役に見えるような人物です。

しかしタタラ場で働く人達からは絶大な支持をうけています。現代で言えば「カリスマ」と呼ばれるようなタイプです。

なぜこれほどまでにエボシは支持を得ているのか?

それは、エボシがタタラ場の人達の生活を豊かにすることを考え、行動し、社会から人として扱ってもらえない病人や、奴隷のように扱われていた人達をも1人の人間として受け入れ生活する、そんな愛情に溢れた人物だったからだと思います。

つまりエボシはタタラ場にいる人達に対しては曇りなき眼で見定めることができたと言うことができるかもしれません。
しかし自然に対してはそうはできなかった。

逆に、自然の中で暮らしている「サン(もののけ姫)」やサンを育てた「犬神」や最終的にはタタリ神になってしまった(恨みにとらわれてしまった)「おっとこぬし様(イノシシの神様)」などは、自然に対して「曇りなき眼で見定め、決める」ことができていたと思うのですが、人間に対しては「恨み」「怒り」といった感情で行動してしまい、眼が曇った状態で物事を判断してしまったと思います。

タタラ場の生活をより良くしようとする側の人達の気持ち。

自然を守る側の気持ち。

アシタカはその両方の気持ちを考え、何が正しいのかを「心」を持って考えて立ち向かうことができる少年でした。

最終的に両者の争いはとめられず、双方に痛みを伴う結果となってしまいます。
しかしアシタカの心ある行動が、争いの痛みが、エボシ達、サン達の曇った眼を少しかもしれませんが、晴らすきっかけにはなったと思います。

エボシは「ここを良い村にしよう」と、以前とは違った考えで村を再興しようと決意します。

サンは、人間のことは好きにはなれないけれど、人間の中にもアシタカのような素晴らしい人がいることに気づくことができました。

エボシをはじめとする人間中心の人達と、サンをはじめとする自然を愛する人達のどちらの「心」も、少しずつかもしれませんが「曇りなき眼で見定め、決める」というアシタカのような「心」に近づいているように感じます。

こういった「心の変化」を見ていると、私は「もののけ姫」とは、私達人間の歴史そのものを描いているように感じました。

私達人間の歴史も、その時代時代で問題があり、その問題に対して曇った眼で、何が正しいかを見極めらない時に、痛みを伴うことが多くありました。

様々な問題で「失敗」、「痛み」を経験し、少しずつ曇った眼が晴れていきました。「正しい心」を持った人達の声が心に響くようになりました。
人間の眼は、様々な物事に対して、曇ったり晴れたりを繰り返すことで成長し、今の時代につながっているように感じます。

アシタカのように「曇りなき眼で見定め、決める」ということを少しずつでもできるようになることこそ、人間の成長と言えるのかもしれません。

だからこそ、今、私達が生きるこの時代の様々な問題に立ち向かう時に、アシタカのように曇りなき眼(まなこ)で見定め、行動できるように、また問題に対して自分が向き合う力がなくても、せめてアシタカのような「正しい心」で向き合った人達の声を聞けるように、私達人間が成長していくことが大切ではないのかと感じました。

もちろん、きれいごとだけでは解決できないと思われるような問題もたくさんあります。
ただ、そういった問題に対してこそ、曇りなき眼(まなこ)で物事を見極め、信念を貫き通す心の強さが大切だよ。」と、「その心が、人間にとって、自然と文明社会との共存とっては、1番大切だよ。」と、映画「もののけ姫」(アシタカ)からは教わったような気がしています。

まぁ、アシタカのようになりたいと言っておきながら、どちらかと言うとタタラ場の人達に近い私が感じたことなので(笑)、宮崎駿監督が映画に込めたメッセージとは全然的外れなことを言っている可能性は多いにありますが。

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    • 匿名
    • 2018年 10月 29日

    私もアシタカのようになりたい

      • muujin
      • 2018年 10月 30日

      アシタカいいですよね!
      曇りなき眼で物事を見極められるようになりたいものです。

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