「心で考える」。1番大切で、1番難しいこと。

大河ドラマ 「西郷どん」第24話 運を掴める人(感想)

今回の「西郷どん」25話では、「再会」、「別れ」、「出会い」と多くの出来事が吉之助を待っていました。

愛加那や子供達との「再会」、そして「別れ」と切ない場面もありましたが、個人的に印象に残ったのが「土持」や「川口雪篷」との出会いです。

吉之助は徳之島では愛加那や子供達との幸せな時間を過ごしていましたが、藩命により「沖永良部島」に遠島されていまうことになります。

沖永良部島では牢に入れられるという厳しい環境でしたが、目付け役は吉之助のことを尊敬する「土持」が担当でした。

「土持」は吉之助の活躍を薩摩で聞いており、吉之助を見習い、「民」のことを考え行動をしていました。
農民が年貢で苦しんでいれば、年貢を軽くしてもらうように役人と掛け合ったり。

藩命で、吉之助には1日1食だけしかあげてはいけないとなっていましたが、「土持」はわざわざ毎食立派な食事を持ってきてくれます。
吉之助がいつ死ぬかもわからない状況におかれていることを知っていた「土持」の、「最後くらい吉之助に美味しいものを食べてほしい」との優しさからの行動でした。

こういった場面を見ると、吉之助はとても「運」がいいように見えます。
たまたま遠島にあった「沖永良部島」で、吉之助を尊敬する「土持」が目付け役となったことに。

でも私は、この「運」は偶然ではなく、吉之助が「民」のことを思い行動してきたからこそ掴むことができたものだと思います。
吉之助自身が「こころざし」を持って生きてきたからこそ、「土持」にも同じような「こころざし」が受け継がれました。
「土持」が吉之助を尊敬しているのも、吉之助が行なってきた過去の行動によるものです。

もし、吉之助が「民」のことを考え行動してこなければ、「土持」の吉之助に対しての尊敬の念はありませんでした。
そうなると、吉之助を気遣うこともなったでしょうし、食事を提供することもなかったのかもしれません。

こういった視点で見てみると、「運」とは偶然おこることのように見えますが、自分自身が掴むきっかけを作っているように思えます。

 

これは「沖永良部島」で出会ったもう1人の人物「川口雪篷」の行動に対しても同じことが言えるように思います。

吉之助は、大久保一蔵がいつか必ず島から助けてくれると信じていました。

しかしそんな吉之助の姿を見て「川口雪篷」は「おめでたい奴」というような軽蔑した目で見ていました。
薩摩から届いた海江田や大山からの手紙には、一蔵が久光の1番の側近となったのに、吉之助を助けるそぶりを見せないと書いていたからです。

「川口雪篷」は人とは裏切るものだと吉之助に言いましたが、吉之助は友を信じると言って、食事も藩命に従い1日1食の粗末なものしか食べなくなりました。

吉之助は次第に弱っていき、とうとう生きるか死ぬかという状態にまでなってしまいます。
しかし、そんな状況におかれても一蔵を信じ続け、待ち続けることをやめませんでした。

そんな吉之助の姿に、「川口雪篷」の心も動かされることになります。

吉之助が死の淵を彷徨うような状態になった時に、「川口雪篷」はたまらず吉之助を助けようとします。
水を飲ませ(口移しでしたね 笑)、吉之助を生かしてあげたいと心から思っている様子でした。

吉之助が生きながらえることができたのは「川口雪篷」がたまたま「沖永良部島」に遠島にあい、たまたま吉之助に興味をもったからのように思います。
しかし「川口雪篷」が吉之助を助けたいと思ったのは、吉之助の「信念」に動かされたからです。
友を信じ疑わないという吉之助の姿が、「川口雪篷」の心を動かしたからです。

この場面を見ても吉之助が生きながらえることができたのは、運が良かったというより、吉之助自身の行動によりもたらされたものだと見ることができます。

 

よく「運がいい」と言われる人がいますが、もしかすると運とは偶然というより、その人自身の行動によって「運のいい人」になることができるのかもしれません。
吉之助のように「運がいい」と思えるような場面に出会える人というのは、その運を掴むにふさわしい行動をとってきた人のように思います。

ということは、私は「運がいい」と思えるような場面にあまり出会わないので、運を掴むにふさわしい行動をとれていないということになります(笑)
吉之助のように「運」を掴める男になるために、立派な「こころざし」や「信念」を持ち生きていきたいと思います!

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