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大河ドラマ 「西郷どん」第45話 すれ違いが生み出してしまうもの(感想)

今回の「西郷どん 45話」は、個人的には衝撃的な内容でした。

西南戦争という出来事があったことは歴史の授業で習いましたが、まさか一蔵が吉之助の暗殺を指示したりなど、鹿児島の士族を挑発するような行為をすることで起きた戦争だとは知りませんでした。
(諸説あるようですが)

あれだけ苦楽をともにした、親友とも呼べる2人がなぜこのような関係になってしまったのか。
本当に残念でしかたないですよね。

吉之助としては政府に逆らうような事態にならないようにと行動していましたが、一蔵から見ると私学校というのは政府にとって危険な存在に見えたのかもしれません。

もし吉之助と一蔵が仲良くやっていれば、一蔵は私学校を脅威とは感じなかったでしょうし私学校を挑発するようなこともしなかったでしょう。
しかし、一蔵は親友であった吉之助の暗殺を指示するほど、一蔵と吉之助の関係は壊れていました。

一蔵が自分の暗殺を支持していたことを知った時の吉之助の表情は、何とも言えない悲しいものでした。
仲の良かった2人がすれ違ったことで、物事は一気に悪化してしまいました。
本当に悲しい出来事です。

ただこういったすれ違いが起こる時というのは、どちらか一方だけではなく、どちらにも原因があることが多いと私は思っています。
一見すると、一蔵が冷酷な人のように見えますが、じつは一蔵の冷酷な部分を強く出させてしまう原因が吉之助側にもあったのかもしれません。

この「西郷どん」の話だけではなんとも言えませんが、少なくとも私学校というものが、一蔵が冷酷さをださずにはいられないほどの脅威となっていたことは間違いないことだと思います。

それは、吉之助と一蔵との政府内での仲違いが原因なのかもしれませんし、私学校にいる過激な士族が原因なのかもしれません。

いづれにせよ、2人がお互いに歩み寄ることをやめてしまったことで起きた悲劇だと思います。

もちろん、吉之助からすると冷酷な一蔵にはついていけないという思いがあったのかもしれませんし、自分が歩み寄りたくとも一蔵にその気がなく、諦めてしまっていたのかもしれませんが。
偉そうには言えませんが、吉之助としては歩み寄ることをやめてしまったことがいけなかったのかもしれません。

このようにすれ違った2人を見ていると、悪いことが起こる可能性はありますが、良いことが起こる可能性はないに等しいですよね。
そう考えるとすれ違ったり仲違いした時というのは、その後付き合いをやめるにしても、双方が納得することが大事だなぁと改めて思わされます。

とくに仲の良かった、親友、恋人、兄弟、家族などの深い関係である場合では、すれ違ってしまうと「愛情が憎しみに変わる」というようなことも起こりえる確率が高いので、そういった場合にこそ「歩み寄る」という気持ちが大事だなと感じます。

一蔵と吉之助も、もう少し2人が歩み寄れていたなら、その後の2人の人生は大きく変わっていたでしょうし。
(吉之助は西南戦争で命を落ちすことはなかったでしょうし、一蔵は暗殺されることもなかったのかもしれません。)

一蔵のような頑固な人との関係がこじれると修復するのが難しくはありますが、それでも自分が歩み寄ることをやめてしまっては、最悪、吉之助と一蔵のような悲劇を生み出す可能性を残してしまいます。

まぁ、たらればを言えばきりがありませんが、すれ違ったままでは良いことが何もおこらないことだけは確かだと思います。

ちょっと怖く暗い感じになってしまいましたが(笑)、ようは「憎しみからは何も生まれない」ということと同じようなことを書きたかったんだと思います。

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