21 Jan 2017
みなさんは「大難を小難に、小難を無難に」という言葉について考えたことはありますか?
(自然災害が「大難」になってしまう理由はこちらの記事で)
私は神社に行くと「おみくじ」を引くのですが、数年に1回のペースで「大難を小難に」という言葉に出会っている気がします。ただその「大難を小難に」という言葉の深い意味については、あまり考えたことがありませんでした。
そこでちょっと気になったので、ネットでこの言葉の意味を調べてみることにしました。
ネットで調べてみると「大難を小難に、小難を無難に」という言葉について書かれたものがたくさんあります。
「大難を小難」という諺もあるようで、「災難が予期していたよりも小さくすむことである。」と書いてあり、他にも「大難を小難に、小難を無難に」と言う言葉の意味は「神様に心を込めてお祈りをすることで、大きな災いが起こるはずが、小さな災いですむこと。また小さな災いが、無難になること。」と書いてあったり。
他にも「宇宙エネルギーが〜」と書いてあるものもあったり(笑)、色々な解釈があるようで、私も自分なりに「大難を小難に、小難を無難に」という言葉について考えてみることに。
試しに自分の人生で、大難が小難になっていそうなことってあったかな?と考えてみると、1つ思い浮かぶ出来事がありました。
というか、私に心当たりがあったのは「大難を小難に、小難を無難に」という出来事の逆で「無難が小難に、小難が大難」になってしまった出来事(笑)。
でもこの出来事について考えると、「大難を小難に、小難を無難に」という言葉の解釈に関して、ある「説」が思い浮かぶきっかけになりました。
その説というのが、ずばり『「大難を小難に、小難を無難に」は神様に頼まなくても自分でコントロールできる説』です!(水曜日のダウンタウン調 笑)
追記:「無難が小難に、小難が大難になってしまう時(自然災害編)」という記事も書いてみましたので、よろしければこの記事の後に読んでみてください!
災難は自分の「心」でコントロールできる
『「大難を小難に、小難を無難に」は神様に頼まなくても自分でコントロールできる説』について説明させていただくにあたり、まずは私の身に起きた、「無難が小難に、小難が大難に」なった出来事について書かせていただきます!
(私の身に起きた出来事を「例」にして「大難を小難に、小難を無難にする方法」「困難をコントロールする方法」を書かせていただきます。ちょっと長くなりますが 笑)
私は小さい頃から運動が好きで、特にサッカーが大好きでした。
小、中、高とサッカー部に所属し、大学生になってからも地元の社会人サッカーチームに所属し、サッカーを楽しんでいました。
ただ、どちらかと言うと丈夫とは言えない体だったため、小学校高学年の頃からすでに腰痛持ちで、1年に1度は酷い痛みでボールが蹴れなくなる時期がありました。幸いにも1ヶ月ほど運動を控えると痛みもなくなり、また運動ができる体に戻っていたので、それほど深く自分の体について考えることはありませんでした。(無難の状態)
高校生までは、腰痛やその他のケガをしても少し休むと回復していました。
しかし軽い症状で済んでいたのもここまで。大学2年生の時、サッカーをしているとお尻や太もも、ふくらはぎにしびれを感じることが多くなりました。
サッカーをする時だけではなく、日常生活でもつらい時が多くなり、病院で調べてみると椎間板ヘルニアと診断されます。
もちろん腰に負担のかかる運動は禁止されてしまい、もう激しい運動はしないほうがいいとまで言われました。
(小難の状態)
1年半ほど激しい運動を控え、しびれもほとんどおきなくなったので、楽観的な性格である私は再びサッカーをするという決断を下します。病院の先生にはヘルニアを甘く見てはいけないと言われていたにもかかわらず。
サッカーを再開してしばらくすると、以前ほどではありませんが、腰が痛くなったり、足のしびれがでたりと、ヘルニアの症状が再びでてしまいます。
ただ、私としてはサッカーができないほどの痛みでもないし、痛み止めを飲めば十分サッカーができるという感覚だったので、サッカーをやめるという気持ちは全くありませんでした。
そしてある日の試合のことです。
試合中に痛みを感じてプレーをしたくないので、この日も痛み止めを飲んで試合にでました。
サッカーは相手選手との接触プレーが多いスポーツなので、時々、転倒してしまうことがあります。
この試合で私は、自分の不注意で相手選手と接触し、転倒してしまいます。
試合中は少し痛いと思ったぐらいだったのですが、試合が終わり家に帰ると、なぜか下半身全体が火傷をしたかのように熱く、激しいしびれと激痛におそわれます。
少し歩こうとするだけで、足腰に激痛がはしり、歩くこともままならないほど。それでもむりやり歩いていると、足首から先の感覚が、ほとんどなくなってしまいます。(さわっても、つまんでも何も感じません)
さすがに怖くなって、病院に行ったのですが、もちろん診断は椎間板ヘルニアのままで、手術をするか安静にするかしかないとのこと。
手術しても治る保証はないとのことだったので、ひとまず安静にして様子を見ることにします。
ほとんど外出もできず、歩くのは病院に行く以外は家の中のみという生活が半年ほど続きます。
(大難の状態 その1)
半年ほどして、足のしびれや、感覚がなくなるというような状態はほどんどなくなり、ヘルニアの症状は落ち着いてくれました。
しかし、なぜか下半身がおもかったり、少し動くと足の筋肉がこわばったり、かかとを地面につけていると痛みで立ってられなくなるという症状が残ります。
病院で先生に相談しても、ヘルニアにそういう症状は聞いたことがないけれど、ヘルニアが原因としか考えられないので、1度手術をしてみたらどうかと進められました。
手術に抵抗を持っていた私は、手術をしないという選択をします。
が、1年たっても、症状に改善の兆しが見えてきません。さすがの私もこのままではまともな生活が送れないということで、セカンドオピニオンも受け、手術しか方法がないという結論に達します。
手術を失敗することはほとんどないから心配しなくてもいいと言われたこともあり、手術を受けたのですが、結論から言いますと、まさかの手術失敗という結果になります。
今までの症状が改善しないだけならまだしも、手術失敗の影響で、なぜか腰とは全然関係ない背中上部に痛みやダルさがでてしまうようになりました。
少しせこい話になりますが(笑)、お金を払って手術をしてもらったにも関わらず、生活に支障がでる症状が1つ増えると言う最悪の結果に。
もちろん手術の同意書を書いているので、お医者さんを責めるわけにもいきません。
手術後1年半ほど、他の病院に行ったり、整体にいったり、鍼灸院に行ったりしましたが、どの治療も効果がでず、途方に暮れることとなります。
(大難の状態 その2)
しかしこの後、幸運にも1人の先生の出会いで、私の体に起きていた症状の本当の病名がわかることとなります。
どの病院に行ってもヘルニアが原因だろうとは言われていましたが、この先生によると「ヘルニアの時に併発してしまった、CRPSという神経の病気ですよ」という診断でした。
先生からは「神経がヘルニアの痛みに耐えきれず、痛みを感じる神経が損傷してしまって、痛みの感覚がおかしくなっている。だから手術をしても、手術が成功していたとしても、君の症状はたぶん治らなかったと思う」と言われました。
また、この症状は完治することが難しいとも言われました。(神経が損傷しているので)
最初は、絶望感というのか、将来への不安などで押しつぶされそうでした。
この先どうやって生活をしていけばいいのか。とか、もうふつうの人のような生活はできないかもしれない。とか
でも、しばらくすると、私の「心」にある変化が起こっていることに気づきます。
今まで当たり前だったことがすごくありがたいことだと思えたり、今までより感謝できる機会が増えたり。
そして何より、今まで起こった困難に対して、全て自分が原因で起こってしまったことだと反省することができました。(手術失敗も含め)
困難を受け入れることができると、なぜか自分の「心」に余裕が生まれます。
そうすると自分の今の状態に心から向き合うことができるようになりました。
今の自分には何ができて、何ができないのか。今の自分には何が必要なのか、何をすべきなのか。など
自分の弱点、可能性を見つめることで、前向きに物事を見ることができるようになりました。
CRPSに関しては、先生のアドバイスとネットで色々調べた結果、血流を良くすることが効果的だとわかりました。もちろん1日や1ヶ月で良くなるほど簡単な病気ではないので継続して続けなければなりません。
じゃあ今の自分に継続して行える治療は何かと考えると、温泉に行くことだという結論に達します。(病院や民間療法では、お金もかかるし、何より何年も継続して通うのは気持ち的に難しいと思ったので。)
1年のうちの3分の1ぐらいを家のお風呂ではなく温泉に行って治療をしました。(1回400円ぐらいなので、病院に行くよりも安上がりです 。温泉も大好きですし 笑)
温泉に行くまでのCRPSの症状が100とすると、1年ほどで50%ほど痛みなどの症状が改善されました。そこからさらに2年ほどで80%ほどまで改善されています!
(大難をコントロール その1)
また自分の体に向き合うことで、どんな仕事ができるかも見えてきます。
自分に向き合う以前は、どうにか健康な人達と同じような仕事をしようとがんばってはみましたが、やはり痛みなどで長続きはしませんでした。
立ち仕事も、力仕事も、事務のような座りっぱなしの仕事も、自分の体では難しい。
じゃあ、何ができるのか?自分のペースでできる仕事を探せばいいんだ!と。
今の時代、パソコンでできる仕事がたくさんあるから、パソコンで仕事をしよう!痛くなれば休めばいいし、何より自由気ままに暮らせるし。(稼ぎはまだまだ少ないですが 笑)
自分の状態を受け入れることで、いい意味で色々なことをあきらめることができ、その結果、今まで見えていなかった方向性を考えることができました。
(大難をコントロール その2)
腰に関しては、CRPSと手術の失敗の影響でかなり弱くなっていました。鍛えようにもふつうに腹筋や背筋をすると、しびれや痛みが出てしまいます。
今までは「しびれや痛みがでるから、腰を鍛えることはできないな。」とあきらめていましたが、この時は、「どういった動きが今の自分には痛みが出て、どういった動きなら痛みがでないのか?」と、自分の症状と向き合いながら色々試してみた結果、自分に合う体幹トレーニングを見つけることができました。
その結果、腰痛になることがあまりなくなり、長時間椅子に座ることができるようになりました。
(大難をコントロール その3)
こんなに長々と書いてきて、果たして何人の方がここまで読んで下さったのかはわかりませんが、大変お待たせ致しました(笑)
それでは災難をコントロールする方法について書かせていただきます!
私に起きた、無難、小難、大難その1、大難その2、を見てもらうとわかりやすいかなと思って書いたのですが、それぞれを見てもらうと、私が自分の弱点に深く向き合い考えていないことがおわかりかと思います。
腰が弱い体なのにも関わらず、自分の体に深く向き合っていませんでした。
無難から大難にいたるまでの過程で、私は自分の腰の状態について楽観的に考え続けていました。
無難から大難までの同じような出来事に同じような物事の考え方で対応していたんです。
「無難」から学ぶことができなかったから「小難」になってしまい、「小難」から学ぶことができなかったので「大難」になってしまいました。
もし私が大難になる前に、「自分の腰は普通の人よりも弱いのでしっかりケアしなければ」だとか「重点的に腰を鍛えるトレーニングをしなければ」と深く自分の体に向き合い考えていれば「無難」もしくは「小難」ですんでいたと思います。
困難が大きくなるということは
「困難に対しての向き合う心が間違っていたから(困難に対して向き合えていなかったから)」、「困難から何かを感じること(学ぶこと)ができなかったから」
だと思います。
しかし、逆に言うと
どんな困難にでも正面から向き合い何かを感じる(学ぶ)ことができれば、困難が大きくなる前に気づくことができ、対処することができるのではないのでしょうか?
「大難」を「小難」にすることも、「小難」を「無難」にすることもできると言えるのではないのでしょうか?
また、困難(大難)な状況に陥ったとしても、自分の向き合う心が変われば(何かを学べれば)、困難をコントロールすることもできると言えるのではないのでしょうか?
私は、無難や小難の期間に自分の腰の弱さと向き合い学ぶことができなかったので大難にまでなってしまいましたが、上記の「大難をコントロール(その1、その2、その3)」で書いたように、私の困難に対する「心」が変わったことで、物事が良い方向へ動きだしました。
大難になってしまい、どうしたらいいのかわからない状況に追いつめられて初めて、自身の状況に正面から向き合う「覚悟」ができました。
もちろん、無難や小難でこの「覚悟」ができていれば大難にならずにすんだと思いますが、あの時の私の「心」では、おそらく何度過去に戻っても同じことを繰り返してしまい、大難になってしまったと思います。
でも今は違います!(たぶん 笑)
この「大難」での出来事のおかげで、私は「困難から何かを学ぶこと、自分自身をみつめ物事に正面(心)から向き合うことの大切さ」を学びました。
今現在は「大難」によって体は少し不自由にはなりましたが、「大難」からは、私のこれからの人生にとってとても大切な教訓を得ることができたので、今では感謝しているくらいです!
だってもし私がこれからの長い人生で(予定では 笑)、様々な場面でこの教訓を生かすことができれば、大難になりそうなことも小難や無難ですますことができると思いますし、何より困難に出会った時に、「恐れ」や「苦しみ」といったマイナスの感情ではなく、「何かを学べる」「自分が成長できるチャンスだ」と前向きに捉えることができるのですから!
(まぁ、私がこの時の気持ちを忘れていなければですが 笑)
もし皆さんが今現在、「うまく行かないこと」や「同じような困難が続いている」、「どんどん困難が大きくなっている」と感じているのであれば、一度立ち止まり、自分がどういった「心」でその物事に向き合っているのか?自分がどういった「心」でその物事に対応してきたのか?を深く見つめ、考える時間が必要なのかもしれません。
そしてもしそこから、何かを感じたり、何かを学べることができれば、きっと今までとは違った「心」でその物事に対応することができると思います!
そしてその「心」が、困難を抜け出す「力」になってくれるはずです!
決して私のように「大難」になるまで、困難をほったらかしにしないように!(笑)
ということで『「大難を小難に、小難を無難に」は神様に頼まなくても自分でコントロールできる説』、いかがでしたでしょうか?
追記:「無難が小難に、小難が大難になってしまう時(自然災害編)」という記事も書いてみましたので、よろしければこの記事の後に読んでみてください!
コメント
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はじめまして。今日日本各地で大雨による被害がでており「大難を小難に、小難を無難に」の言葉を調べておりましたらこちらに出会いました。読了し有り難いと感激し、いつに書かれたものだろうと日付を見たら私の誕生日でした。驚いてコメントを残します。「無難が小難に、小難が大難になってしまう時(自然災害編)」も拝読しました。ありがとうございます。まさにそう感じます。どうぞご自愛ください。
ゆきさん、コメントいただきありがとうございます!こちらの記事を喜んでいただけたようでうれしく思います!
またこの記事と同じ誕生日だということで、大変光栄に思います(笑)
今年2020年は「コロナウイルス」「自然災害」など、困難の多い年になりました。
しかしどのような出来事も私たちの「心」次第です。
どのような困難からも学び活かすという意識で、前をむいて人生を歩んでいければと思っています!
職場で仕事中なのですが、軽い気持ちで「大難は小難に」という言葉を検索したところ、こちらの記事を拝見し、思いもかけずとても心に沁みるお話で感動しました。大事なのは何事も自分の心ですね!ありがとうございました。どうぞご自愛くださいね。
コメントいただきありがとうございます!
「心に沁みる」と言っていただけるなんて、嬉しすぎます!
Asaさんの心に少しでも何かを残せたのなら、腰を痛めた甲斐があったというものです 笑
今現在は腰痛はなく、元気に暮らしております。ご心配いただきありがとうございます。
もう長らくブログの更新をサボっていますが、また書きたいと思っています。いま本の執筆にチャレンジ中なので、それが終わり次第、更新する予定です。
時間があれば、また読みにきてください!(仕事中は仕事をしてください 笑)