「心で考える」。1番大切で、1番難しいこと。

あなたにとっての「神様」は?

みなさま、明けましておめでとうございます!
数少ないこのブログの読者のみなさま、どうぞ今年もよろしくお願い致します!(笑)

今年初ということで何を書こうかなと思っていたのですが、やっぱり新年といえば「初詣」、そして「初詣」といえば「神様」ということで、新年最初の今日は「神様」について書いてみようと思います!

 


神様ってどんな存在?

みなさまは「神様とは?」と聞かれるとどのようなイメージをお持ちになりますか?

一般的には神様とは「全知全能」といったイメージや、「願いを聞いてくれる」というイメージを持たれているかたも多いかと思います。

初詣では神様に願い事をするのが一般的ですし、実際に「無病息災」「商売繁盛」などのご利益を売りにしている神社はたくさんあります。

私も小さいころから初詣には毎年行っていますし、そこでは必ず神様に願い事をしていました。

「願い事をしていました。」と過去形で書いたのは、じつは今は願い事をあまりしなくなったからです。
というより、願い事の仕方が変わったと言ったほうがいいのかもしれません。

なぜなら今の私にとって「神様」とは、ただ単に願い事を叶えてくれるような存在ではなくなったからです。

 

私が小さいころは、私にとって「神様」とは自分の願いを叶えてくれるような、自分にとって都合のいいこと聞いてくれるような存在でした。
(大変失礼な物言いですが)

もちろん初詣に行っても、私は願い事ばかりしていました(笑)
「お金持ちになりたい!」だとか、「人生がうまくいきますように!」だとか、「家族が健康でいられますように!」だとか。

とにかく神様にはなんでもお願いしておこうというスタンスで神社にお参りに行っていました(笑)

でも大人になったある時、ふと思ったんですね。

「自分に都合のいいことばかり聞いてくれる神様って神様じゃなくねぇ?」と。

別に神社で願い事をするのを否定しているわけではないですよ。
でももし「神様」という存在が本当に自分のことを考えてくれる存在だとしたら、自分に都合のいいことばかりを聞いてくれる存在ではなく、自分に対して厳しいことをを言ってくれる存在であり、そう簡単にお金持ちにしてくれたり、悩みを解決してくれたりするような存在ではないと思ったんですね。

例えばですが、親が子供になんでも欲しいものを買ってあげたり、子供の望み通りになんでもかんでも手をかしてあげたり、甘やかしてばかりいるとどうなってしまうでしょうか?

それはその子供の成長にとって良いことではありませんよね?
その場では子供は喜んでくれるしこちらも満足でしょうが、子供の将来を考えると「努力」や「苦労」という経験させてあげることも時には必要ですよね。

「愛情」という言葉は難しい言葉で、その場では「愛情」をかけているつもりでも、じつはその「愛情」が子供にとっては全然「愛情」になっていなかった。というような話はよく聞くことです。

芸能人の子供が甘やかされて育てられたことで、グレたり逮捕されたりということがあるように、お金に不自由しないで経済的に贅沢な暮らしをさせてあげることが子供の成長にとっていいことであるとは限りませんよね。

そう考えると「神様」というのは願い事をなんでもかんでも叶えてくれるような存在ではないと思うんですよ。

自分の都合のいいことばかりを聞いてくれる存在ではなく、自分の成長を考えてくれる存在。
「努力」もなしに簡単に願いを叶えてくれたり、「苦労」もしないで簡単にお金持ちにしてくれるような存在ではなく、「努力」をすればどなるのか。「苦労」を経験することでどうなるのか。いいことをすればどうなるのか。悪いことをすればどうなるのか。

そういったことを人生をとおして色々経験させてくれ、自分自身に向き合い考える機会を与えてくれる人。自分に向き合い成長する機会を与えてくれる人こそ神様なんじゃないかな。と。
(神様は人ではありませんが 笑)

もし「神様」という存在が本当にいるとしたら、自分にとっての「神様」とは、そんな本当の意味での「深い愛情」を持った存在だと思っています。

逆に神様がなんの「努力」や「苦労」もしないで幸せを与えてくれる存在であったり、「このツボを買えば幸せになれるよ!」、「〜をしなければ地獄に落ちるぞ!」「〜しなければ天国に行けないぞ!」「私の言うことを聞かなければ幸せになれないぞ!」と恐怖をもとに行動を煽るような存在であるなら、それは私にとっては「神様」でもなんでもなく、むしろ「神様」とは逆の存在であるように感じます。
(あくまで私の考えです)

私は「神様」という存在に対して上記のように考えるようになったので、最近は初詣に行っても「お金持ちになりたい!」「宝くじに当たりたい!」と願い事をするのではなく(笑)、「今の自分の目標」を心の中で言うようにしています。

「自分はこの1年〜を頑張るのでお見守りください。」というような感じで。

神様からすると、神社に来るたびに「頑張る!」とか「努力する!」とか威勢のいいことを言っているわりにはなかなか実行に移せないやつだな。と思われていそうですが(笑)、今年こそは口だけにならないように頑張りたいと思います!!
(あと神社に行くときは、いちおう神様に対して感謝の言葉も述べています。あとお賽銭も気持ち多めにおさめています。笑)

 

今日は「神様」について書いてみました。

様々な考え方はあるかと思いますが、私にとっての「神様」とは時に厳しく時に優しく見守ってくれる、そんな本当の意味で「愛情」を持って私たちの成長を願ってくれている存在です。

みなさまにとっての「神様」とは、どんな存在でしょうか?

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    • 佐藤憲一
    • 2020年 10月 04日

    僕は5年前に脳梗塞で右脳を全部失ってしまい生死を彷徨いいわゆる臨死体験しました。そこで、夢が現実か多分夢なんでしょう、沢山の多分神様?に会いました、二列に並んで沢山いました。一番左側にドアがあり僕はそのドアの向こうに行くのだろうと、感じてました。そして目が覚めて家族に囲まれてました。何だったんだろと今でも思います、あの世の面接で、落ちたのかなと、は不思議な体験しました。、

      • muujin
      • 2020年 10月 04日

      佐藤さん、今はお体は大丈夫なのでしょうか?大変な状況かと思いますが、ご自愛くださいませ。

      神様に関しては色々な説が世の中にはあります。私自身の話でいうと、私は十年ほど前に見えない世界を体験してしまい(意識のある状態で)、見えない世界に興味を持ち囚われていた時期があります(神様のことや、死後のこと。など)
      その後いろいろな経験をし、私個人が出した答えとしましては「見えない世界はあったとしても(神様がいるいないなどは)、気にする必要はない」ということです。
      なぜなら「心」が何事にも囚われない状態になると、神様がいるのかいないのかを気にしてしまうのは、自分の「心」が「不安や恐怖(脳の反応)」に囚われている影響だったと気づくことができたからです。
      (不安を抱えた「脳」の思考に巻き込まれていることに気づいたからです。)

      私たちの「脳」というのはいくらでも自分の思い通りに「理屈」をつけることができます。
      たとえばある宗教に所属している人が「毎日お経を読めばいいことがあるよ」と教えてもらい、毎日お経を読んでいたとします。その後何日かしてとてもいいことがありました。そうすると当然その人は「毎日お経を読んだからだ」と、「お経」と「いいことが起きたこと」を結びつけようとしますよね?
      反対にお経を読むのが面倒くさくなり、ある時お経を読むのを何日もさぼったとします。もしそのことに罪悪感を感じてしまえば、「脳」は次に何か嫌なことがあったときに「あ、お経を読むのをさぼったからかもしれない」と、「嫌なこと」と「お経を読むのをさほったこと」を結びつけようとします。

      このように「脳」は様々な理屈を用いて物事を判断しようとします。ほとんどの人はこの「脳」の反応を自分の考えだと思い込んでいるだけです。そしてそのような反応を脳がしてしまうのは、「不安」や「恐怖」を抱えているからでもあります。

      佐藤さんが見た「たくさんの神様」についても、理屈は同じです。
      佐藤さん(佐藤さんの脳)が、見たものを「たくさんの神様」だと信じたいと思っていると、見たものは神様だったことになりますし、いや夢だろうなと思えば夢になります。その体験が何か意味のあるものだと思えば、神様がまだ死ぬには早いとメッセージをくれたと解釈することもできます。
      しかし脳の反応に影響されずに物事を捉えられるようになると(「心」が何事にも囚われない状態=心で感じる)、神様だろうが夢だろうが気にする必要はないことに気づくことができます。(気にしているのは脳だということに気づくことができます)

      「今、現実の世界で自分のすべきことに集中する。今の自分にできることをする。」それ以上でもそれ以下でもないということがわかってきます。

      見えない世界のこと、死後のこと、天国のこと、地獄のことを考える必要はないということです。なぜならこれらもある人が「脳」の思考に囚われ、自分の身に起きた現象に対して理屈をつけて作り出した物の可能性があるからです。

      すいません。ちょっとどころじゃないくらいわかりにくい説明になってしまいました。
      今書いていて、もっと端的に説明してくれているものが世の中にあることを思い出したので、そちらの方がわかりやすいかもしれません。

      「ジョンレノンのイマジン」という歌はご存知ですよね?私の言っていることは、ほぼあの歌で歌われていることと同じようなものだと思います。
      (「イマジン 和訳」で調べてみてください)

      最後に1つだけ私の「脳」が世の中の現象に対してつけた理屈をお伝えさせていただきます。

      この世の中の現象全てを私たち人間のちっぽけな頭で理解しようとしても、到底理解することはできません。(現在のところ)
      世の中には神様が降りてきたという人がたくさんいますし、未来が見えるという人もいます。見えない世界が見えるという人もいます。不思議な体験をした人はたくさんいます。私も何人かそのような人に会ったことがありますし、実際私も見えない世界を経験しました。
      しかしちょっと乱暴な言い方になりますが、それらは所詮、人間の「脳」が勝手に解釈したことに過ぎません。そしてほとんどの人が物事のあるがままを見ることができず、自分の「願望」や「不安」「恐怖」などを通して、「こうに違いない」と物事を判断しています。

      たとえば「自分に神様(天使)が降りてきた」という人は、自分は神様が降りてくるほどすごい人だと思いだがっている「傲慢さ」を持っている人や、現実を受け入れることができず「不安」や「恐怖」を抱え、視野の狭い状態で「こうに違いない」と判断を誤った人がほとんどです。
      (自分がこれまで会った人たちはそうでしたし、「心」が何事にも囚われないと、そのことに気づくことができます。)

      見えない世界があるとするなら、そこにいるのは神様だけとは限りません。悪魔と呼ばれるようなものもいるかもしれません。世の中には光と影、正と負、人間にも「いい人」「悪い人」がいるように。

      良いものか悪いものか、どちらなのかを果たして人間に判断できるでしょうか?見えない世界があり人間以上の力を持っている何かがあるのなら、ちっぽけな人間を騙すぐらい簡単なことです。謙虚な人であればあるほど、自分に神が降りてきたことに疑問を持つはずですし。

      そういった意味では、たとえ見えない世界を経験したとしても、不思議な体験をしたとしても、気にしないようにすることが大切だと思います。気にしているとどんどんそういった「人」に出会ったり、「現象」が身に降りかかるようになります。そして抜け出せなくなった人がたくさんいます。
      (私の経験上でも、過去から現代までの世の中を見ても。)

      そんなことより今の現実の世界を、しっかりと心を込めて生きる方がよっぽど大切なことです。見えない世界に何かを期待するのではなく。

      もしこの世界を神様が作ったと信じるなら、この地球の自然現象、人間の複雑な細胞や臓器を作れるほどの途方もない力を持っていることになります。完璧な神様がわざわざ苦しみを作ったということは、何か意味があるということになります。その苦しみがなくなる方法を、わざわざ人間に降りてきて教えるようなことをするでしょうか?わざわざ幸せになれる方法を簡単に教えてくれるでしょうか?

      そうではなく、しっかりと「何が正しくて何が正しくないのか」「何が人にとって1番大切なものなのか?」を何かに依存するのではなく、自分自身で向き合い考えた人にだけわかるように、こっそりとこの世の中にヒントを隠しているのではないでしょうか?

      そしてその答えに気づいた人が、歌を通して、本を通して、映画やドラマを通して、言葉を通して、生き様を通して、いつの時代にも大切にすべきものを伝えてくれているのではないでしょうか?

      長々と書いておきながら、佐藤さんのコメントに的外れなことを言っているかもしれませんが、今私が感じていることを書かせていただきました。

      佐藤さんが囚われているのは、おそらく世の中に溢れている神様に対する考え方だと思います。神様に何かを期待したり、不思議な現象が起きると何かを期待してしまうのは人間であれば誰もが考えてしまうものです。少なくとも私はそうでした。
      しかし神様に依存しようとするのではなく、神様にはただただ感謝をし「自分に今与えられているものに目を向け感謝をし、活かすことに集中する。」それが大切なことだと思います。

      自分が抱えている「不安」や「恐怖」の正体から逃げず、自分自身に向き合い考え乗り越えることが、世の中の不思議な現象に対する自分なりの答えを出すことにつながります。

      偉そうな書き方になって申し訳ありませんでした。私の経験が少しでも伝わればと思い、ついつい長々と書いてしまいました。

      ちなみにこちらは以前他の記事にもコメントを頂いた「佐藤憲一」さんへ向けた返信なので、他の読者の方には記事の内容通り、自分自身で正しい神様とはどのような存在なのかを、しっかりと考えていただければと思っています。

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