21 May 2018
西郷どん第19話は心が苦しくなったり、温かくなったりと、「愛情」という感情をフルに味わうことのできたお話でした。
今回のお話では、吉之助が飢えで苦しむ島の子供達のために、薩摩から送られてきた「お米」を分け与えたり、子供達の将来を考え、読み書きを教えてあげたりと、「愛情」を持って島の人達に向き合う場面が見られました。
「愛情」を受けるということはとても素晴らしいことなのですが、時にはその「愛情」が苦しく感じてしまう時もあります。
「愛情」が失われるとわかっている時などは特にそうですよね。
村の長たちは、吉之助の愛情が長くは続かないことを知っていました。
吉之助はいずれ薩摩に帰ってしまう人です。そうなればお米をたべることも、読み書きを学ぶこともできなくなります。
大きな喜びであればあるほど、それを失う時には苦しみをともないます。
どうせ辛い思いをするぐらいなら、いっそう最初から愛情などいらない。愛情を失う怖さから、村の長たちは吉之助の行動を受け入れる勇気を持つことができません。
愛情を失った後のことを考えてしまい、吉之助の愛情を素直に受け取ることができずにいました。
そして「とぅま」も同じく「愛情」を失うことに臆病になっていました。
吉之助が自分の嫌う薩摩の人達とは違うこと。吉之助が島の人達のことを思い行動してくれていること。
吉之助という人間を知れば知るほど、吉之助を想う気持ちは高まっていきますが、その吉之助はいつかは薩摩に帰ってしまう人。
吉之助がいなくなってしまうことがわかっているが故に、どうしても自分の気持ちに素直に向き合えません。
すごく切ない状況ですよね。
愛情という感情にふれるということは、素晴らしいことでもありますが、同時に人の心を苦しくもさせてしまうものなんだと、村の長たちや「とぅま」を見ていると改めて考えさせられました。
でもこの後の「とぅま」の決断を見た後ではこうも思いました。
「愛情」とは素晴らしい感情でありながら、苦しみをもたらすこともある。だからこそ2つの側面を受け入れることが大事なことなんだ。と。
「とぅま」は吉之助と別れる日のことに目を背けるのではなく、そのことを受け入れたことで、吉之助を愛しているという自分の気持ちに正直に向き合うことができました。
たとえ短い間でも、別れがきたとしても、吉之助を愛し共に生きよう。と覚悟を決めることができました。
そしてそれは吉之助も同じです。
「とぅま」から「私をアンゴにして」と言われた吉之助は、「アンゴではなく、妻になってくれ」と、中途半端な関係ではなく、「とぅま」の気持ちを真剣に受け止め、共に生きることを決めました。
別れがくることを受け入れたからこそ、今ある幸せをめいいっぱい感じようと思うことができ、いまある幸せにめいいっぱい感謝することができるんじゃないかと思います。
「愛情」という感情の素晴らしさを深く感じることができる人というのは、素晴らしさも、苦しみも、両方あるということを受け入れることができた人だけなのかもしれません。
そしてそういう人こそ、「愛情」を失うような出来事があっても、幸せだった思い出が心の支えとなり、辛い時期を乗り越えていけるのではないかと思います。
まぁ、まだ吉之助と「とぅま(愛加那)」の結婚生活は始まったばかりなので、まだ別れた時の話しは早いですね(笑)
今は2人の幸せを静かに見守りたいと思います!
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