5 Jul 2018
みなさんは「病は気から」という言葉を信じていますか?
(「病は気から」という言葉は「心」の状態が「体」の状態に影響を与えていることを表す言葉です。)
私は子供の頃から「病は気から」という言葉を何度も言われたことがありますが、正直、この言葉をそれほど大切だと思ったことはありませんでした。
(「心」の状態が「体」の状態に影響を与えているとはあまり思っていませんでした。)
「怪我した時はツバをつけていれば治る」と同じような感じで、気休め程度の言葉だと思っていました(笑)
しかし医学的には胃炎などの消化器官の病気は「ストレスが原因」と診断されることが多々あります。
また、近年にはストレスが胃炎などの一部の病気の原因になるメカニズムまで解明されています。
胃炎など、一部の病気には「病は気から」という言葉が当てはまることは間違いないようです。
では他の病気についてはどうなのでしょうか?
もし、「病は気から」という言葉が胃炎以外の様々な病気にも当てはまるとすれば、この言葉は私が考えていたよりもはるかに重要な言葉だということになります。
そこで今回は「病は気から」という言葉を、私が経験したことや、私の家族や親戚に起きた出来事、世間一般での出来事などに当てはめ考えることで、「病は気から」という言葉の重要性について考えてみたいと思います。
風邪を引きやすい時、引きにくい時
私が20代半ばの頃の話になりますが、私は長期間、心が沈んでいる状態になった経験があります。
(「病は気から」という考えに当てはめてみると、「病」にかかりやすい状態だということになります。)
このブログの「大難を小難に、小難を無難にするために」という記事でも書かせていただいたことがあるのですが、私は腰と神経の病気で半年ほど歩くことが難しい時期を過ごし、その後に受けた手術も失敗し、数年の間、精神的に辛い状況に追い込まれた時期がありました。
その時は働くことができない状態だったので、家の中で過ごしてばかりおり、そんな中、していたことと言えば姉の子供達の面倒を見ることぐらいでした。
甥っ子達が実家暮らしの私の両親のもとによく預けられていたので、甥っ子達の面倒を見ることが私の唯一の仕事であり、癒しでもありました。
長時間動くことはできませんでしたが、オムツを変えたり、離乳食を作り食べさせたり、昼寝をさせたりということぐらいはできたので、主夫のように子供の面倒を見ながら日々を過ごしていました。(独身ですが 笑)
今思い返すと甥っ子達と接することで気がまぎれ、たくさんの癒しも与えてもらっていたと思います。
ただそれでも、「痛み」や「将来の不安」などで私の心はかなり沈んでいる状態でした。
小さな子供というのは免疫力が弱いので、よく風邪を引きます。
甥っ子達もよく風邪を引いていたので、私が風邪を引いた甥っ子達の面倒を見る機会もよくありました。
免疫力の弱い子供が風邪を引くことはよくあることですが、その都度、面倒を見ている側(親や祖父母)まで風邪を引くことってそんなに多くはありませんよね?
しかし私の場合、甥っ子達の風邪がうつる確率が異常に高かったんです。
私の母や姉も同じぐらい子供達に接していたのですが、毎回私だけが甥っ子達の風邪をもらっていました。
甥っ子達は多い時は1ヶ月に2度ぐらい風邪を引いていたのですが、私の心が沈んでいる間は90%ぐらいの確率で甥っ子達の風邪をもらっていました(笑)
この時は「自分は風邪をひきやすい体質になってしまったのかな?」と思っていたのですが(今までの人生でここまで多くの風邪を引いたことはありませんでした)、今思うと、やはり「病は気から」ということが1番の原因だったように感じています。
この心が沈んだ状態は2年ほど続きましたが、その後、自分の腰と神経の病気に向き合い、物事を前向きに考えられるようになってからはほとんど風邪を引かなくなったからです。
もちろん甥っ子達とはかわらず接する機会は多くありましたが、ほとんど風邪がうつることはありませんでした。
(甥っ子達はあいかわらずよく風邪を引いていましたが 笑)
ここ5年ほどはほとんど風邪を引くこともなく(1度だけインフルエンザにかかりました 笑)、人が変わったように健康になりました!
私が風邪をよく引いていた頃と風邪を引かなくなった頃を比べた時の1番の違いは、やはり「心」が変わったことです。
物事の考え方や捉え方が変わったおかげで、前向きに物事を考えられるようなりました。
今まで感謝できなかったことに感謝できるようになったり。できないことを考えるのではなく、できることを考えたり。
心が元気な状態になったことで、風邪を引くことはほとんどなくなりました。
心が沈んだ状態と心が元気な状態を比べると、明らかに心が元気な状態のほうが「風邪」を引きにくくなりました。
もちろん「風邪」の原因は「心」だけのせいだとは言いませんが、「心」の状態が「体」の状態(免疫力など)に大きく影響していると感じています。
では次は、私の祖母に起きた出来事について、「病は気から」という言葉を当てはめて考えてみようと思います。
認知症になった祖母
私には認知症になった祖母がいます。
しかも父方の祖母と母方の祖母の2人ともが認知症でした。
そしてその2人ともが同じような状況で認知症を発症してしまったんです。
その状況というのが、2人とも夫を亡くしてからすぐに認知症になってしまったということです。
認知症になりやすい人の性格は、短気であったり、几帳面すぎたり、ネガティブ思考である人など、ストレスをためやすい人だと言われています。
言いかえれば、『「心」に余裕がない』という状態の人が認知症になりやすいということになります。
私の祖母は2人とも夫との2人暮らしだったので、夫が亡くなると1人暮らしになってしまいました。
そうなると「心の状態」はどうなるかというと、「寂しさ」「将来への不安」などに襲われることになります。
もちろん1人でも明るく前向きに生きていけるタイプの人もいらっしゃるかとは思いますが、私の祖母はそういったタイプではありませんでした。
口では「1人暮らしでも平気だよ」とは言っていましたが、やはり1人になったことでネガティブに考えてしまうことが多かったと思います。
私の2人の祖母は『「心」に余裕がなくなる』という状態になってしまった時期に「認知症」になってしまいました。
同じような話では、夫婦のどちらかが亡くなった場合、後を追うようにそのパートナーも亡くなってしまったという話を聞いたことがあるかと思います。
自身の夫や妻を亡くし、『「心」が沈んでしまう』という状態になってしまったことで、体調も崩してしまうという、よく聞く話です。
こちらも「心」の状態が「体」に影響を与えていると考えられる出来事の1つです。
もちろんこれらには年齢も影響しているでしょうし、偶然と考えることもできます。
ただ私の祖母の場合、認知症になってからも「心」の状態が「体(思考)」に影響していると考えられる出来事は続きました。
祖母のうちの1人(母方の祖母)は認知症と同時に「被害妄想」も引き起こしてしまいました。
「被害妄想」の症状は酷く、介護のために帰ってきた自分の娘(私の母)を泥棒扱いしたり、ヘルパーさんを泥棒扱いしたりと、手がつけられないような状態になることもありました。
(だれも祖母の物を盗んでいないと説明しても、理解もできませんし、聞く耳も持ちません。)
私も介護のため母と交代で祖母の様子を見に行っていたのですが、私も疑われたことがあります。
ただその祖母との生活の中で、徐々にですが祖母が被害妄想になってしまう時、ならない時というのがわかるようになりました。
祖母が被害妄想になる時というのは『「心」が不安定』な時で、『「心」が安定』している時というのは病気になる前の祖母のようにニコニコと機嫌良く過ごしてくれることがわかりました。
少し下品な話になりますが(笑)、祖母はよく便秘になっていました。
便が出る時はいいのですが、便がでない日が2、3日続くと、便がでていないことをすごく気にするようになります。
(些細なことが気になるのは認知症になってからの症状です)
そうなると便秘ぐすりの容量を守らず飲もうとしたり、便秘のせいで腰や体が痛くなると思い込み、「病院に連れて行け!」と騒ぎだすこともありました。
また「お金がなくなった。」や「通帳がなくなった。」と言い出す時も、何らかの心配事ができ『「心」が不安定』になった時でした。
こういった被害を訴える状態になった時には、いくら正論を言っても、論理的に説明をしても、被害妄想の人には通じません。
祖母の「間違い」を指摘しようものなら、より興奮してしまい、状況はさらに悪化してしまいます。
なので、被害妄想をおこしている時には「心」を落ち着かせるための対応をとるしかありません。
これは祖母だけでなく、被害妄想の人全般に言えることのようです。
被害妄想の人が怒ったり、何かを訴えている時の1番良い対処の仕方は「心」を落ち着かせてあげることだと言われています。
この被害妄想に関しても『「心」が不安定』になることで「病(被害妄想)」が発動してしまいます。
逆に『「心」が安定』すると(「心」を落ち着かせてあげると)、「病(被害妄想)」はおさまってくれます。
認知症、パートナーの後を追うように亡くなってしまう人、被害妄想。
これらの出来事に「病は気から」という言葉を当てはめ考えても、「心」の状態が「体」の状態に大きな影響を与えていることがわかります。
子供の脳が萎縮する
これは以前放送されていたNHKの番組で見たことなのですが、福井大学とハーバード大学の研究によると、親の喧嘩を見たり聞いたりする機会が多い子供というのは、「脳」が萎縮してしまい、感情をコントロールすることが難しくなってしまったり、記憶力や学習能力に影響を及ぼす可能性が高いことがわかったそうです。
脳が萎縮してしまった子供は、家族や友人にキレやすくなったり、学校の勉強についていけなくなったりといったような症状が起こってしまうようです。
この問題を知った時、私はこの問題にも「病は気から」という言葉が当てはまるのでは?と思いました。
両親のケンカを子供が見聞きした場合、1番最初に影響がでるのはどこなのか?と考えてみると、それはやはり「心」だと思います。
両親のケンカを見聞きすれば、子供の「心」は苦しくなったり、不安に感じてしまいます。
つまり両親がケンカをするところを見聞きした時に、1番最初に傷つく場所は「心」です。
「心」がダメージを受けることで、その影響が「脳(体)」にでてしまうと考えることが正しいのではないのでしょうか?
「心」が傷ついたことで「脳」が萎縮していまし、キレやすくなったり、学校の勉強についていけなくなったりしてしまう。
この問題も「心」の状態が「体(脳)」の状態に影響を与えている例の1つだと思います。
ガンで余命宣告された親戚の話
最後は2年ほど前に「ガン」で亡くなった私の祖母の妹の話です。
(これよりその妹の名前を「りっちゃん(仮名)」と呼ばせていただきます。)
りっちゃんは60代前半の時に「ガン」と診断され、70代後半に亡くなりました
しかし、りっちゃん本人がガンだと知ったのは亡くなる3ヶ月前で、それまではりっちゃんにはガンであることは知らされていませんでした。
りっちゃんがガンだということを知っていたのはりっちゃんの旦那さんと遠くで暮らしている娘や息子達だけでした。
旦那さんはりっちゃんがショックを受けないように「リンパの病気」だという嘘の説明をしていたようです。
なので私の祖母をはじめとするりっちゃんの姉妹も、みんな「リンパの病気」だとこの十数年間は思い込んでいました。
りっちゃんのガンの状況は手術をしたもののおもわしくなく(もちろん本人には「リンパの病気」だと嘘をついて)、病院の先生からはりっちゃんの息子や娘達も集められ「心の準備をしていてください」と告げられていたようです。
(余命宣告をされたようです。)
本来ガンであれば抗がん剤治療などをするのが一般的ですが、りっちゃんは以前、抗がん剤の影響で苦しんで亡くなった妹を見ており、りっちゃんは自分がガンになる前から「もし私がガンになっても抗がん剤治療などは絶対にしたくない」と家族には言っていたそうです。
(このことが抗がん剤治療をしなかった理由なのかまでは、家族の方からは聞いていません。)
手術後のりっちゃんは、ガンの治療のために入院することもなく家で暮らし、月に1度、定期的に病院に行くぐらいでした。
(りっちゃんは病院嫌いだったようで、この後、亡くなる寸前までレントゲンすら撮らなかったようです。病院から出された薬は飲んでいたようですが。)
手術ではガンがなおらず、抗がん剤治療など特別な治療はしていなかったりっちゃんですが、そこから十年以上も寝たきりにもならずに家で過ごすことができました。
私の祖母が認知症になる前は2人は毎日のように電話をし、時には祖母がりっちゃんの家に遊びに行ったりもしていたので(徒歩で10分ぐらいの距離でした)、祖母達姉妹からするとりっちゃんが命にかかわるような病気だとは思わなかったようです。
私も祖母が認知症になり、祖母の手伝いに行くようになってからは何度かりっちゃんと話す機会がありましたが、笑顔で元気そうに見えたのでそれほど深刻な状態には見えませんでした。
もちろん十数年の間には、皮膚がふくれて破れたり(祖母から聞いた話です)、咳がとまらなくなったりと、苦しんだ時期もあったようですが。
ここで不思議なのが、りっちゃんは薬は飲んでいたようですが、ガンの治療を受けていないのになぜ十数年も寝たきりにもならず暮らすことができたのか?ということです。
入院もしていませんし、抗がん剤治療なども受けていません。
りっちゃんの家族は病院の先生から「心の準備をしていてください」とまで言われるような状態だったのにです。
よくテレビなどでは、ガンになった方が「感動」したり、「前向きに生きよう」と思えることでガンが消えたというような話や、余命宣告よりも長く生きることができたというような話をきいたことがありますが、りっちゃんにも同じようなことが起こったのでしょうか?
りっちゃんはどのような「心」の状態で日々を過ごしていたのでしょうか?
私は、祖母や母から聞いたりっちゃんの話しか知りませんが、その聞いた話について考えた時に思ったのが、「病は気から」ということが、りっちゃんが長い間ガンを患いながら寝たきりにもならず過ごすことができた要因の1つではないかと思いました。
ではこれより、私が聞いた話をもとに、りっちゃんがどのような「心」で日々を過ごしていたのかについて書かせていただきます。
りっちゃんは体が辛い時はあったようですが、私の祖母との電話ではいつも旦那さんへの「感謝」を口にしていたようです。
りっちゃんの旦那さんは、料理、掃除、洗濯と全ての役を1人でこなしていました。
りっちゃんに負担をかけないようにと家のことは全て旦那さんがしてくれていたようです。
またこれはりっちゃんの体が限界にきて、もう余命1ヶ月と言われた時の話です。
(それから3ヶ月後にりっちゃんは亡くなりました)
りっちゃんが亡くなる3ヶ月ほど前、夜中にひどく咳き込み苦しんだ時がありました。
旦那さんが急いで病院に連れて行き、主治医の先生の説得で、昔に手術を受けて以来はじめてレントゲンを撮ったそうです。
(りっちゃんは病院嫌いで、それまでレントゲンは1度も撮らなかったので。)
レントゲンには真っ白になった肺がうつっており、余命は1ヶ月と診断されました。
すぐに入院となり、その後はホスピスに移動し残りの時間を過ごすこととなりました。
この時はじめてりっちゃんは自分が「ガン」であることを知りました。
しかしりっちゃんは落ち込むというより、「やっと体が辛かった原因がわかった。」とガンであること、もう長くはないことを受け入れたそうです。
私の母がお見舞いに行った時には、「全然死ぬのは怖くない。今はすごくこの体に感謝しているし、愛おしく思う。」と自分の腕や足をさすっていたそうです。
この時はちょうど熊本で大きな地震があった後だったのですが、「自分よりも熊本の人達のほうがもっと大変だ」と、熊本の地震にあわれた方達を心配したりもしていたそうです。
これらの話を聞いて私が感じたは、りっちゃんは様々なことに「感謝」ができる「心」を持っている人だったんだな。ということです。
もちろん病気になる前からそうだったのかはわかりませんが、少なくともガンの手術後、退院して家で過ごすようになってからは「感謝」の「心」を持って日々を過ごすことが多かったように思います。
りっちゃんは自分があまり外出ができなくなったことや、家事などができなくなったことを嘆くよりも、旦那さんが自分のために頑張ってくれていることや姉妹達が家によく遊びにきたり電話をしてくれることなどの「良い面」を見ることができる人でした。
りっちゃんは現状を嘆いて「心」が沈んだ状態で日々を過ごしていたのではなく、現状に「感謝」をして「心」が良い状態で日々を過ごすことができていたように思います。
りっちゃんが「ガン」になり、病院の先生からりっちゃんの家族には「心の準備をしといてください」と言われていたような状況から、十数年も寝たきりにもならず穏やかに過ごすことができたのは、現代の医学では説明できないことだと思います。
でももし「心」の状態が、「ガン」の進行や体の体調、免疫力に影響を与えていると考えるなら、りっちゃんが厳しい状況にありながら、治療らしい治療もせず、数十年も穏やかに過ごすことができたことの説明がつきます。
100%「病は気から」ということが「ガン」に影響したと言うことはできませんが、私はその可能性は高いと感じています。
(「感謝」することが体に良い影響をあたえることを私自身が経験しているので、そう感じるのかもしれません。その経験については「心で考えることの大切さ」という記事の中で少し書かせていただいています。)
最後に
今回は4つの出来事に「病は気から」という言葉を当てはめ考えてみました。
正直、「心」の状態が「体」の状態に影響を与えているという考えは、すべての病気に当てはまるのかはわかりません。
ただ、今回書かせていただきました4つの出来事を見てみると、医学的に証明されている胃炎などの病気以外にも、私達の「心」の状態が「体」の状態に何らかの影響を与えている可能性はきわめて高いと言うことができるのではないのでしょか?
(免疫力、脳の働き、細胞の変化など)
私の場合はこのブログのタイトルである「心で考える」ということを意識することが良い「心」の状態を保つことにつながり、風邪を引かなくなるという「免疫力」に関しての良い効果がでました。
(「心で考えることの大切さ」についてはこちら)
「病は気から」という言葉を軽視していた時期もありましたが、いくつもの病気に「病は気から」という言葉が当てはまることに気づいてからは、「心」の状態を整えるということはとても大切なことだと思っています。
もし、病気になりがちな人や、何らかの病気になっている人がこの記事を読んでくださっていましたら、病院に行ったり薬を飲んだりすることも大切だと思いますが、自身の「心」の状態を整えることも、病気を予防したり治療するためには重要である可能性が極めて高いことを知っていただければと思います。
(1番いいのは、医学的な治療と心を整えることの良いバランスを自分なりに見つけていくことだと思います)
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。