「心で考える」。1番大切で、1番難しいこと。

大河ドラマ 「西郷どん」第39話 責任を持つことのできる人(感想)

少し遅くなりましたが、「西郷どん」第39話の感想を。

時代は明治に入り、吉之助は私たちに馴染みのある「西郷隆盛」という名前に改め、政治とは距離を置いて暮らしていました。
家族とともに暮らし、田んぼや畑仕事をしたりと、心静かに暮らしているようでした。

本来なら西郷隆盛は、大久保一蔵や岩倉具視たちと一緒に新政府の中心にいるはずでしたが、戊辰戦争で何か思うところがあったようで、政治には関わらないようにしていました。

西郷隆盛は人一倍責任感が強く、人の痛みを感じる心をもっていたため、戊辰戦争で犠牲にしてしまった人達や残された家族のことを考えずにはいられなかったのでしょう。

周りの人達からは新しい世の中をつくった「英雄」のように思われていますが、西郷隆盛自身はそのようには感じていないようでした。
戊辰戦争で多くの犠牲を出してしまったことに強く「責任」を感じているようでした。

「責任のとり方」というのはその人の考え方によって様々な方法があります。
自分の今の立場から退くというのは1番多くの人が選ぶ責任のとりかたで、西郷隆盛もまたそのような行動で責任をとろうとしました。
ただ西郷隆盛が普通の人と違うのは、犠牲になった薩摩藩士達の家を一軒一軒訪ね、祈りを捧げに行った行動からもわかるように、本当の意味で最後まで「責任を持つ」ということについて考え行動したことです。

犠牲になった人の家に一軒一軒訪ねるというのは、精神的にもに肉体的にも大変なことだったと思います。
しかし西郷隆盛にとっては、「責任を持つ」というのはこのように薩摩や日本の将来のために戦って犠牲になった人達に最後まで向き合うということだったのかもしれません。

犠牲がでるのは仕方がないことだ。と起きた出来事に目を背けるのではなく、自分自身が起こしてしまったことに対して、最後までしっかりと向き合い考え行動する。

こういった姿勢こそが本当の意味で「責任を持つ」ということであり、人の上に立つ人が持たなければいけないものだと思います。

どれだけ正しいこと、正しいと思えるようなことをしていても、その中で誰かが苦しんだり、犠牲になったりしたのなら、そのことに目を向け考え行動するということはすごく大切なことだと思います。
たとえそれが仕方のない犠牲だったとしても。

自分の行動に「責任を持つ」ということは、自分の行動によって起きた出来事に向き合うことだと私は思います。
そして本当の意味で「責任を持つ」ことができた時にこそ、周りの人達、多くの人達の信頼や尊敬を勝ち取ることがきる人になれると思います。

西郷隆盛が多くの人に慕われ尊敬されているのも、戊辰戦争の犠牲者に祈りを捧げようと行動したように、起きた出来事にきちんと向き合い考え行動するという「責任ある行動」ができる人だったからだと思います。

逆にいうと、「責任を持つ」ということができない人というのは出来事に向き合い考え行動できない人だと言えるので、自分のしたことを誰かのせいにしたり、言い訳をしたり、他人の痛みを考えようとしない人であるとも言えるのかもしれません。

もちろんそのような人は慕われることもないでしょうし、信頼されることも、尊敬されることもないでしょう。

ただ西郷隆盛のように「責任を持つことのできる人」になることは、大人であれば当たり前のことのように思われがちですが、じっさいに自分ができるかと聞かれると、やっぱり難しいことだと思います。

つい言い訳をしてしまったり、自分の立場を守ろうとしてしまう弱い心が出てしまう時があるかもしれません。

だからこそ西郷隆盛のように「責任を持つことのできる人」になるためには、「誰かのせいにしたり言い訳をしたくなるような時こそ、自分自身がとった行動に対して向き合い考えることを意識し、行動しなくてはいけない。」と感じました。

現在の社会でも、責任を持つことができないタイプの人というのは(信頼できないと言われている人は)、すぐに誰かのせいにしたり、言い訳をしたり、自身の行動を見つめることができない人である場合が多いですもんね。
(誰とは言いませんが 笑)

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