14 May 2018
今回の「西郷どん」第18話では、薩摩藩の「闇」の部分が描かれていました。
月照様と入水自殺した吉之助は、何とか一命をとりとめましたが、幕府の目から逃れるため、奄美大島に島流しになってしまいます。
吉之助は自分だけ生き残ってしまった罪悪感や、自分の無力さから自暴自棄になってしまい、島の人たちとはかかわろうとしませんでした。
そして島のことを知ろうともしませんでした。
島の人たちの「声」は吉之助には届いていませんでした。
吉之助は島の人たちがどれだけ薩摩に苦しめられているのか。自分や斉彬が食べた「お菓子」が島の人たちの犠牲によって生み出されていたことを知りませんでした。
島で作られた「砂糖」は、すべて年貢として薩摩に奪い取られ、島の人たちの生活はギリギリの状態です。
吉之助が崇拝していた斉彬は「民のために、国のために」と、命をかけて働いていましたが、その民の中に島の人たちは入っていませんでした。
島の娘である「とぅま」が吉之助にむかって、「斉彬のせいでこの島は苦しんでいた。斉彬が死んでくれてうれしい。」と言うと、吉之助は怒ります。「お前に殿のなにがわかるんじゃ!」と。
吉之助にとっては、斉彬は神様みたいな人でした。斉彬のすることは全て正しい。斉彬のすることには全て意味がある。
尊敬する人がいるということは、すごくありがたいことですが、時には尊敬する気持ちが強すぎて「何が正しくて、何がいけないのか」を自分で考えようとしなくなってしまいます。
この時の吉之助のように心に余裕がなければなおさら、現実にしっかり向き合い考えることができなくなってしまいます。
薩摩藩や斉彬が島の人たちにしてきた行いは、間違い無く悪いことです。
でも吉之助ははじめ、斉彬や薩摩を信じ尊敬する気持ちから、島の人たちの現状を正面から見ることができず、過ちを認めることができませんでした。
しかし、島の人たちの現状を見たり、「とぅま」の声が心に届くようになり、「島のことを知りたい。」と思うようになります。
吉之助のように、私達にも「自分が正しい。」「自分の信じてきたものが1番正しい。」と思ってしまうことってありますよね。
自分の考え、自分が尊敬する人の考えが間違うはずはないと信じ、その間違いを指摘されると「逆ギレ」してしまうことが(笑)
そして時には自分の間違えに薄々気づいているにもかかわらず、その思いを打ち消すためにいろいろな言い訳や理由を考えてしまうこともありますよね。
そういった時に1番大切なことが、今回の吉之助が最後に「島のことを知りたい。」と考えを変えたように、「物事に正面から向き合い考えよう。」とする姿勢だと思います。
何が正しくて何がいけないのかを、自分自身でしっかりと向き合い考える。
先入観を持たず、周りの人たちの声をしっかりと聞き考える。
私達が正しい判断ができる時というのは、こういった気持ちを持つことができる時だと思います。
吉之助がこれから島で何をするのかはわかりませんが、吉之助が島の現状に向き合い、「何が正しくて、何がいけないのか」を考え行動していくことに期待しつつ、次回の西郷どんを楽しみに待ちたいと思います!
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