「心で考える」。1番大切で、1番難しいこと。

大河ドラマ 「西郷どん」第25話 自分のできることは何か?(感想)

今回の「西郷どん」第25話では、吉之助と沖永良部島の人たちとの心温まる関係性が描かれていました。
吉之助を含め、沖永良部島で暮らしている「土持」「川口雪篷」「島の子供達」、それぞれが誰かのためを思い行動している姿というのは、見ているこちらまで心が温かくなりました。

そして誰かのために「自分のできることは何か?」と考えることの大切さを、教えてもらったような気がしています。

 

吉之助は土持や雪篷の助けにより、一命をとりとめることができました。しかし、現状を変えなければ吉之助の命はまた危険にさらされてしまいます。
そこで土持は吉之助のためにできることはないか?と考え、改めて藩命が書かれた書状を読みました。
そこには吉之助の牢屋を建てる場所は指定されておらず、土持は代官の許しを得て自分の家の中に吉之助の牢屋を建ててしまいます。

吉之助は土持から命を救ってもらっただけでなく、雨風をしのげ、手足を伸ばして寝ることができる牢屋まで作ってもらいました。
土持から受けた恩に報いるために今の自分にできるることは何か?と考えた吉之助は島の子供達に学問を教えることを思いつきます。

川口雪篷は薩摩にイギリスの軍艦がやって来ることを知って、薩摩の民を守るため沖永良部島から抜け出そうと試みます。
しかし、藩命により遠島にあっている雪篷が島から出ることは許されません。
雪篷は今の自分にできることは何か?と考え、今いる沖永良部島の民の命を守ることを決意します。

イギリスの軍艦は沖永良部島を通り薩摩へ向かうことが予想されるため、沖永良部島もイギリスの攻撃を受ける可能性がありました。
そこで吉之助、土持、雪篷は丸太で大砲の偽物を作り港に並べることで、イギリス軍の目を欺こうと試みます。
しかし村の大人達は協力的ではなく、大砲作りは3人だけではなかなか作業が進みません。
そんな時、吉之助の教え子達が自分たちにも何かできることはないか?と吉之助達に協力してくれることになりました。
そしてその様子を見た村の大人達や役人達も一緒に島を守るために協力してくれるようになります。

 

吉之助をはじめ、土持、雪篷、子供達、それぞれが自分のできることを考え行動することで、沖永良部島に住む人たちに一体感が生まれました。
自分のできることは何か?と考え行動することが、誰かの心を動かし、心を動かされた人もまた自分にできることは何か?と考え行動することにつながります。

土持の吉之助の命を救うという行動が、吉之助が牢屋に入りながらも、子供達に学問を教えたいという行動につながったように。
吉之助の子供達に学問を教えるという行動が、大砲づくりの時に子供達が「手伝いたい!協力したい!」という行動に繋がったように。
吉之助の友を信じ続けるという行動などが雪篷の心を動かし、島の民を守ろうという行動につながったように。

人には「苦手なこと」や「できないこと」というものが必ずあります。
でも反対に自分の得意なこと、自分にしかできないことというものも必ずあります。

吉之助達のように「自分のできることは何か?」ということに目を向けることができれば、お互いが「生かし生かされる」、そういった素晴らしい環境を築くことができます。

だからこそ、「自分のできることは何か?」と考え行動することはすごく大切なことです。

私は自分のできることよりも、できないことに目を向けてしまうタイプなので(笑)、今回の「西郷どん」で学んだように、「自分のできることは何か?」ということに目を向け行動することで、自分の周りにもお互いが「生かし生かされる」という環境を作っていければと思います!

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