「心で考える」。1番大切で、1番難しいこと。

大河ドラマ 西郷どん第11話 私利私欲に負けない人達(感想)

西郷どん第11話の感想です!

いや〜、見ごたえがありましたね!
斉彬の息子である虎寿丸が亡くなった場面。大久保正助が久光の意外な一面をみて、尊敬の念を抱いた場面。ヒーさま(一橋慶喜)を将軍にしようと斉彬達が会合を開いた場面。

でも今回の西郷どん第11話は最後の斉彬のセリフが全てを表す言葉だったように思います。

「民のためなら自分の命などどうでもいい」(こんな感じのセリフだったと思います 笑)

以前西郷どん第8話を見た感想で、命をかけようと思える人たちについて書きましたが、薩摩藩主である斉彬もまた、自分の命をかけ、生きている1人でした。

斉彬の全ての行動は「民のために」という思いが込められた行動だったわけです!

篤姫を自分のコマのように使うそぶりを見せていたこともあり、あれ?斉彬って私利私欲のために将軍に近づこうとしているのか?と疑ってしまった時もありました。(すいませんでした 笑)

でも違いましたね。さすが吉之助が敬愛するほどの男です!
今思えば、篤姫も自分の命を斉彬に使ってほしいと願っている感じのことを言っていたので、斉彬が私利私欲のために行動する人ではないことを感じていたからこそ命を預けようと思ったのでしょう。

やっぱり人の上に立つ者とは斉彬のようであってほしいですよね。
私利私欲を捨て、民のことを考えて行動する。

でも現実は大河ドラマのようにはいきません。

私は子供の頃は、私達の上に立つような立派な人は私利私欲をすて、国民のために頑張ることができる人なんだと考えていましたが、大人になってからは私利私欲を捨てることは私達人間にとっては簡単ではないということに気づかされました。

今話題になっている森友学園の公文書偽造問題も私利私欲を捨てることが難しいことを表していると思います。

政治家や官僚などのエリートと言われる人達ですら、間違いを犯す人が多くいます。いくら頭が良くても私利私欲を抑えることができません。
あれだけ何度も同じような問題が起きると、人間には私利私欲をなくすことが不可能なことのように思えます。

でも「西郷どん」での斉彬や吉之助を見ていると、私利私欲をコントロールすることはできるように感じます。

斉彬も吉之助も、私利私欲で物事を考えてしまう瞬間はあるはずですが、その悪い心がなかなか出てきませんよね。
それはおそらく「思いやりの心」が強いからだと思います。

斉彬は「国民のために」という「思いやりの心」を持っており、吉之助は「斉彬のために」という「思いやりの心」を持っています。

2人に共通するのは「誰かのために」と考えることのできる「思いやりの心」です。
他人を思いやるという強い心が、私利私欲という悪い心が出るスキを与えない効果があるのかもしれません。

今思うと、確かに他人を思いやり、他人の気持ちや痛みがわかれば、悪いことをする気にもならないような気がします。だって私利私欲で行動すれば誰がどういった気持ちになるかを想像できてしまうのですから。(他人の苦しみを感じてしまうから)

結局、私利私欲をコントロールするためには、小学校の時に学んだ「思いやりの心」を持って行動するといういたってシンプルなことなのかもしれません。(なんか学校の授業みたいになってきましたね 笑)

ということで私利私欲に負けそうな時は、「西郷どん」(斉彬と吉之助の生き様)を見て学び、「思いやりの心」の大切さを感じましょう!

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